その3(5章ーその3)その日取った自分の行動は正確には覚えていないが、その日と翌日はそこで 知り合ったメンバーとマドリッド市内を王宮とかスペイン広場とかを歩き回 ったように思う。夜になるとこのホテル滞在の主なるメンバーが男女とも集 まり、スペイン、ヨーロッパに限らず世界中の情報交換の場になった。そし てカナダ人も1人いたが(ここにいる日本人の友人)すべて日本から来た連 中だということもわかった。部屋にはノートが一冊あって、紐で固定されて いた。そのノートにはかつてここに宿泊した先輩たちが持ち寄った、主にヨ ーロッパに関する貴重な情報が手書きでたくさん書かれていた。どこで泊ま ればよいか、どこで食べれば良いかが地図とともに詳しく記載されていた。 この貴重なノートはアデラさんの命で持ち出し禁止になっていた。 その夜私はリビングの左右にそれぞれ二人用の部屋が1部屋ずつあること を知り、その一つに非常に興味深い男性が2人、長期滞在していることも知 った。一人はケンケンさんと呼ばれる絵描きさん、もう1人は商用で沼津か らやってきた西村さん。2人ともあごひげを生やしていて、彼らのユーモア 溢れるウィットに富んだ会話を楽しむ旅慣れた姿は僕を惹きつけた。さらに 気の良さそうな女性が2人いた。他にもこの世界に常にいる、理解に苦しむ 一風変わった人ふたりを含め数人いたように思うが、A嬢の姿は見当たらな かった。 3日目昼頃、私は1人でぶらっとトレドへ行った。イスラムっぽいタイル を施したトレドの駅を出て、カーブを描く乾いた道を暑い太陽に照らされて 歩いた。石で作られた古い橋を渡り、石の階段をフーフー言いながら上がり きるとそこにはローマ時代さながらの古い街並みと広場があり、サングラス をかけた観光客がたくさんカフェの椅子に腰掛けて涼んでいた。細い小路を 通って奈良との姉妹都市をじっくりサイトシーイングし、途中、バルでサン グリアを飲んだ。大きなパンチボールのようなガラスの器にレモンを浮かべ たコーラのような液がたっぷり入っていて、飲むと独特の味がして、なかな か美味しいものである。バルセローナの街角で飲んだ、ある植物の根から抽 出した飲み物、カルピス色したオイスターチャーデ・チューファよりはぐん と飲みやすい。 いくら外が暑くても建物の中に入ると、ひやっとして涼しいのは地中海性 気候のためだが、あの熱帯雨林気候に属するとも言える日本の夏を思うと実 に羨ましい限りだ。だからいわゆるクーラーなるものがヨーロッパには見当 たらないのである。カサ・デ・グレコ(グレコの家)を訪れた。そこの係員 のおっちゃんが私の時計をじっと見て、セイコーかと訊くので、そうだと言 うと腕をまくって俺のロレックスと交換しないかと金ピカの一瞥して偽者と わかる時計を見せた。私はあっさり断った。また庭に植えられたある木の太 い幹にやたら落書きがされていて、日本でよく見るあの傘のマークの下に日 本語で男女の名前が書かれているのもあった。帰り道で案外安い金細工のタ イピン(今も愛用している)を土産にいくつか買った。そして夕方頃、あら かじめトーマス・クックで調べておいたマドリッド行きの列車に乗り帰途に 就いた。 この列車は短距離用なのでコンパートメントになっていなくて随分空いてい たので、靴を脱いで足を伸ばし車窓に広がる景色を眺めて楽しんだ。そして アランフェスに停車した時、一団の地元の子供達が賑やかに乗り込んでき た。その中に2人の日本の男性がいて、私の前に座った。私たちは気さくに 話し始めた。年配の人は随分スペイン語がうまかった。彼は神父さんで、以 前はイスラエルにも行ったことがあるとのことだった。まもなく後ろの方か ら聞いたことのある声が聞こえたので、振り返ると、なんとAさんではない か。彼女も私を見てびっくりした様子だった。神父さんたちと彼女が知り合 いなのに又驚き、神父さんは神父さんで私たちが知り合いであることに驚い ていた。後で話し合って分ったことには、彼女が1人でアランフェスを観光 していると、噴水の所で遊んでいたスペインの子供たちと親しくなり、遊ん でいると神父さんと若い男性が現れた。彼等はマドリッドにある、とある教 会に身を置いていて、そこの生徒と共に遠足に来ていたのである。それで半 日一緒に行動したというのである。 住宅街のビルに今にも沈もうとする陽の光が赤く照らす黄昏時に列車はゆ っくりアトーチャ駅に入った。同じ夕暮れ時でもどうしてこうも日本のそれ と違うのだろうか。それは多分根っからスペイン、フランスが好きだからだ けでなく、きっと何かこれでお別れ、二度ともうこの一瞬は巡って来ないと いう哀愁や切なさとともに、私の眼の奥に焼きついた不変の光景というか、 パリに於けるジヴァンシーに似た匂いのある世界というか、あの乾いたサハ ラ砂漠から吹いてくる肌に快い風というか、確かなる永遠の一瞬、即ち、M OMENTの中のETERNITYを無意識に感じてしまうからかもしれな い。美しい金色に輝く夕暮れの雲の上で、キューピットたちが弓と矢を持っ て戯れ、かつて信心深いノアに大きな箱舟を作るように伝え、またエリザベ ートの夫にヨハネの誕生をイサクにイエス・キリストの誕生を伝えた天使た ちが住んでいるからだろうか。駅で別れる時、神父さんが自分と同じ日本人 がそんなにたくさん泊まっている珍しいホテルに是非とも訪ねてみんなに会 いたいというので、その日の夜9時頃、アマデオに彼が来ることになった。 私と彼女は一緒にアマデオに帰り、ホテルの連中と「アントニオ」という レストランへ食事に行った。その店は面白い店で、勘定は我々客が自分です るのである。つまり食後「オイガ ラクウェンタ ポルファボール(すみま せんがお勘定をしてください)」と言って主人を呼び、テーブルクロスの代 わりの白い模造紙のような紙の上に自分の食べた物の値段を書き出し、そし て彼の目の前で足し算をして見せるのである。彼はアデラさんと同様、日本 人を全面的に信頼していたので私たちが即ちレジ係だった。そう言えば、ア デラさんはアメリカーノはお金を払わないのがいてけしからんと言ってい た。 食べながらこういう人が来るんで良ければリビングに集まってくれるよう 誘ったが、みんなそれほど乗り気でもなさそうだった。でも九時にはケンケ ンさんも沼津の西村さんも二人の女性も集まってくれた。時間通りに神父さ んは現れた。アデラさんと何やらスペイン語で会話を交わした後、大きなテ ーブルのあるリビングに入ってきた。Aさんと私が場を盛り上げようとする のだが、一向に盛り上がらず、神父さんが一方的に質問をし、話すといった 最悪の雰囲気になった。神父さんもそれに気が付いていない筈がなく、早い 目に話を切り上げた。そこで私がフラメンコを見に行こうと提案した。結局 私とAさんと神父さん三人で出かけることになった。 あの有名な「カフェ・デ・チニータス」へ行くことになったが、心細いこ とに滞在期間の長い神父さんもその場所を知らないと言われる。私も言い出 したがどこにあるのか知らない。西村さんか誰かがだいたいの場所を教えて くれたが心もとない。今のグラン・ビア、ホセアントニオをスペイン広場へ 向かって歩き、途中で左に折れたまではいいが、後が判らなくなったので、 神父さんがあるスペインの男に訪ねた。すると彼は「俺について来い」と自 信たっぷりに言うので、右に左にと相当な時間彼の後について歩いたが、辺 りはだんだん人影が途絶え始め、何か変なので神父さんが彼を止め、本当に 知っているのかどうかを確認すると、実のところ定かではないと告白した。 ドイツ以北では道を訪ねても知らない場合は冷淡とも受け取れるほどはっ きりと知らないと言うが、ラテン系の国、特にスペイン人は親切心から外国 人旅行者に対して明確に知らなくても教えようとしてくれる人が多い。その 気持ちは我々アジア人と通ずるところがあり、大変うれしいのだが、今回の ようにお互いにかえって困ることになる場合があるのも事実だ。それでも私 はスペイン人の時には過剰とも言える親切心を好意的に捉えている。一応、 彼に「グラシアス」と礼を述べ、時間も遅いのでフラメンコは残念だが今夜 は諦め、どこかで冷たい物でも飲もうということになり、元のホセアントニ オ通りに戻った。そしてホテルの近くのカフェでビールを飲みながら色々話 した。 「それにしても一人で行くには危険だ。考え直した方が良い」と神父さん が切り出した。「どこへ行くんですか」と私が訊くと彼女が一人でモロッコ のマラケシへ行くというのである。しかも明日発つというのである。「マラ ケシはインド人が住みついた魅力的な町なので、何としても単独で訪れたい のです。そのために今回来たのですから、以前は夫とともにヨーロッパ中を 歩きました。特にイタリアはポンペイを含め随分あちこちの町を訪ねまし た。しかし私はただついて行っただけで自分で地図を開いたわけではありま せん。今回の旅については夫も理解してくれています」と言う。「とはいえ アラブの国を訪れたことがないので、不安がないと言えば嘘になります。で も何としても行きたいのです」 その熱意に神父さんも負け「それではくれぐれも気を付けなきゃいけない よ」とまだ心配そうにそっと言った。なんとなくしんみりした気分になって いると、突然電気が消えた。停電かと思ったら、それは閉店の合図だったの である。その明確というか露骨な意思伝達法に同業者である私も面喰ってし まった。三人は店を出て、まだ人の多い活気あるホセ・アントニオ通りを歩 いた。外の風が心地良く頬を撫でた。時計を見ると11時を回っていた。 神父さんとはそこで別れた。私は「明日見送りに行きます」と言った。 すると彼女の言うには「出発は夕方なので、もし良ければあなたをインタビ ューしたい。実は私はコピーライターで、ある雑誌に外国で様々な経験をし たユニークな人を紹介することになっているんです」 「僕でいいんですか。そんなたいしたことやってませんよ」「是非」という わけで、マヨール広場でのインタビューがセットされたのである。 その翌日、「アマデオ」を発つ人の中にモロッコへ向かう男性がたまたま いて彼女は彼に同行の許しを乞うた。彼は「タンジールまでならいいです よ」と快諾したので彼女は大いに喜んだ。彼女は彼と同じ列車に乗るわけだ から、夕方アトーチャ駅で会うように約束した。それから私と彼女はマヨー ル広場へ行き、円テーブルに腰掛け、作業に入った。小型カセットをテーブ ルの上に置いて彼女が今回の旅の動機を含め様々な質問をし、私はそれらに 答えた。そして時間が来たのでアトーチャへ向かった。同行者はすでにチケ ットを持って待っていた。切符を買う窓口には長蛇の列ができていた。 彼女が一人で切符を買おうとしたがうまく言葉が通じないようなので、そ れと今は忘れたが、何かややこしいこともあったので、しかも出発時間が迫 っていたので、私が大きな声で英語で小さな穴の空いている窓口(相手は見 える)に向かって事情を説明し、何とか納得させ切符を手に入れた。振り返 ったら多くのスペイン人が何事かとこっちを面白そうに見物していた。さよ ならも落ち着いて言えぬ状態で別れた。彼女は彼と急いで人ごみの中へ消え ていった。 ずいぶん話しが長くなってしまったが、これが神父さんとある女性と三人 で6月のマドリッドの夜を歩いた思い出話である。その後の消息は帰国後し ばらくして東京から彼女の手紙が届き、「あの時はお世話になりました。あ れから無事マラケシまでたどり着くことができ、素晴らしい体験が出来まし た。ところであなたにインタビューした内容は誠に申し訳ないがカットさせ ていただき、代わりにパリ出逢ったある女性のことを載せました」というよ うなことが書いてあった。何だかがっかりで少し気が悪かった。また西村さ んとは日曜日に一緒にヴェンタスまで闘牛を見に行ったり、ビリヤードをし に行ったり(彼は元プロボーラーでビリヤードも非常にうまかった。黙って こちらの様子を見ていた老人の係員が、彼がある難解な場面をクリアしよう としていたら、突然近づいてきてこのように打ったら良いと指導した。その 渋さに私はまたスペインの奥深さに触れたように思った) あるいは近くのディスコに行ったりした。入り口に立っている制服を着た おじさんにお金を払って入るのだが、おもしろいことに可愛いスペインのギ ャルは彼の頬にキスをして無料で入るのである。その彼女たちも11時にな るとどんなにフィーバーしていてもすっと席を立って家に帰るのである。西 村さん曰く、スペインのお母さんはすごく厳しくて、遊びに行くことを許し ても時間通りに帰らないと手が飛ぶのである、通常それが11時なんだと。 僕より少し年上の人だったが、彼には色々と旅について教えたもらった。最 も印象的だったのが、ある時僕がベルゲンへ行った話をしていると「そこま で行くとナルビクに行かなきゃ」と強調するので「ずいぶん北ですよ、ナル ビクには何があるんですか」と訊くと「そこにユースホステルがあるんだ よ」「それで?」「そこである女性と知り合ったんだよ。実はその女性が私 の家内なんだ」「へぇー そうですか。それはまたロマンチックな話です ね」彼と夜二人でバールで飲みながら人生を語り合ったのが忘れられない。 帰国後1度沼津を訪ね、また彼も奥さんとかわいい三歳くらいの女の子を 奈良を訪ねてくれ奈良公園を散策した。ケンケンさんは日曜日にはのみの市 にキャンパスを提げて出かけ、今日は一枚描いて何とか夕食代を稼いだとか 言っていた。みんな行くレストランが決まっているので毎日のように会う。 ある日は客がいなかったのでちっちゃいヴィノ(小瓶のワイン)なしで食事 を余儀なくしているのでヴィノを奢ってあげたことがある。彼は広島出身の 人で京都に長く滞在したことがあって、私が立命館出身だというと、友達に 立命の学生がいたと懐かしんだ。最初カナダのバンクーバーに渡り(本当に 美しい都市だと言っていた)そこからニューヨークへ、さらにギリシアへ (もうギリシアは最高と彼らは何度も賞賛していた)そして絵画を見ながら イタリア、フランス、スペインと旅して来たとのこと。もう日本を離れて1 年になると言っていた。途中、日本料理店でビアとしながらなるべく倹約し て長期滞在に備えているとも言っていた。 彼は帰国後三年ほど経ったある日、突然私の店を訪れ私を驚かせた。奈良 で開催されたムンク展を見がてらに寄ってくれたのであった。あれから何と 彼は南米に渡り、三年間南半球を旅していたのであった。彼はやたら南半球 の太陽の照り具合を含め何か北半球とは違う世界があると熱弁していた。以 上で思い出話を終えるとしよう。(つづく) ジャンル別一覧
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